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きのこの山・たけのこの里の他にもう一つお菓子があったの知ってる?なぜ終了?

きのこの山とたけのこの里は、どこへ行っても見かける日本から世界へと広がった愛されるスナックの代表格です。

「きのことたけのこ、どちらがお好み?」という質問は、しばしば楽しい議論を巻き起こします。

きのこの山とたけのこの里の他にもう一つシリーズがあったのはあまり知られていません。

その名も「すぎのこ村」。

 

今回は、たけのこの里ときのこの山シリーズのもう一つのお菓子、すぎのこ村がどんなお菓子だったのか、歴史や消えた理由など紹介していきます。

 

たけのこの里ときのこの山の他にもう一つお菓子があった

実は、日本の人気スナック、きのこの山とたけのこの里には、もう一つ仲間が存在していました。

その第三のスナックは「すぎのこ村」という名前で、1987年にデビューしました。

きのこの山が1975年、たけのこの里が1979年にそれぞれ市場に登場した後のことです。

 

すぎのこ村は、サクサクしたビスケットの上に細かく砕いたアーモンドとチョコレートを塗り重ねたスナックです。

このスナックは、その棒状のフォルムで杉の木を表現しています。

 

興味深いことに、すぎのこ村のパッケージを見ると、グリコの「アーモンドクラッシュポッキー」と非常に似ていることがわかります。

どちらもアーモンドの粒を散りばめたチョコレートが特徴ですが、アーモンドクラッシュポッキーが1989年に発売されましたから、すぎのこ村はそれよりも前に市場に出ていたことになります。

 

すぎのこ村は初登場から1年足らずで新しい顔へと生まれ変わりました。

パッケージデザインの一新とともに、ビスケット部分がココア味に変更されたのです。

1990年代初頭にかけて、このお菓子はきのこの山やたけのこの里と並んで市場に出回っていました。

 

しかし、やがてすぎのこ村は市場から姿を消し1992年には「ラッキーミニ」という新たな名前で市場に再登場しました。

この新名称は、当時流行していたスティックタイプのチョコレート菓子「ラッキー」と類似した名前からインスピレーションを得たものです。

 

「ラッキー」といえば80年代に評判になってたお菓子です。

当時、横山やすし・西川きよしのコンビがコマーシャルをやってたのを覚えています。

ラッキーの人気に便乗してすぎのこ村の販売を再開しようとしたのでしょうか。

 

2008年にはラッキーも販売を終了しました。

でも実は「フラン」という名前で現在も販売されている商品は、ラッキーが名前を変えたものです。

すぎのこ村からラッキーミニへ、そしてフランへと名前を変えながら続くこのお菓子の歴史は興味深いですね。

 

さらに、明治から販売されているきのこの山、たけのこの里、そしてすぎのこ村。

これに加え、森永製菓からも「つくんこ」という似たコンセプトのお菓子が過去に発売されていました。

春に咲くつくしをモチーフとしたこのお菓子は、1983年に登場し当時のチョコレートスナック菓子ブームを象徴する一例です。

 

最近たけのこの里が小さくなったと言う人がちらほらいます。

本当に小さくなったのか、いつからなのか気になるところです。

中身が減った理由なども含めこちらの記事に詳しくまとめてあります。

こちらもチェックしてみてください。
↓↓
たけのこの里小さくなった?いつから?内容量減った理由

 

すぎのこ村がなくなった理由

すぎのこ村の生産終了の背後にある理由は、販売数がきのこの山やたけのこの里と比較して減少したため、商品ラインナップから除外されたとされています。

 

その出荷数がなぜ減少したのかについては明確な答えはありません。

ですが、市場には他のメーカーから同様のチョコレートとビスケットの組み合わせスナックが多数存在していたことが一因であると考えられます。

沢山のお菓子の選択肢の中で、ナッツとチョコレートの組み合わせが特殊だったのかも知れません。

好みの人もいれば、ナッツが歯に挟まることを嫌う人もいるため、よりシンプルな味わいのきのこの山やたけのこの里の方が一般に受け入れられやすかった可能性があります。

 

まとめ

たけのこの里ときのこの山の他のもう一つのお菓子はすぎのこ村でした。

販売期間は約3年と短い命でした。

ナッツが入ってたのでたけのこの里やきのこの山ほどのシンプルさがなかったのかも知れません。

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